ベンチャーを始めるあなたへ、何度でも挑戦を続けるために。大企業へ転職した私が伝えたいこと。

2018年2月の終わりに、学生時代にお世話になった方から連絡があった。

今回大学発ベンチャーの特集をやっておりまして、エッセイをお願いしたく思いました。雑感で構いません。堅苦しいものでなく会社をやって見てどうだったのかの思いを語っていただきたいのです。いかがでしょうか。是非ともお願いしたいと思います。

今会社を離れられたので、逆にお時間が取れるかなと思ったのと、立ち上げて少し距離を取られた現在なら書けることがあるのではと思った次第です。

実は離れられたこと自体もこれからベンチャーをされる方の何か参考になるのではと思いました。

内容は、私の学生起業をしてから大手メーカー企業に就職するまでの経験を、情報処理学会へ寄稿するというものである。

たくさんの方に応援してもらい助けられた会社だったので、何か少しでもできることがあればと思い返事を受けることにした。

連絡がきて約1ヶ月後に原稿を提出した。
カリフォルニア州に住んでいたため本誌を手に取って中身を見ることはできなかったが、
CiNiiを見る限りでは無事に出版されたようだ。

執筆時と現在とで状況が変化したことがある。
それは寄稿後しばらくして米国で法人登記をしたことだ。

今回、心境が変わった点がいくつかあるのをきっかけに、寄稿した内容を加筆修正、文字数制限でお蔵入りになった話、またブログらしくラフな文章も交えつつ公開することにした。

はじめに

昨今、GoogleやFacebookをはじめとしたスタートアップが注目されるなか、日本の新卒就職人気企業ランキングでは上位のほとんどを大企業が占めている。

ベンチャーを成功させた先に多額のリターンが待っているのは学生であっても知っているが、日本の開業率は世界と比べて決して高いとは言えない状況だ。

修士在籍時の同級生二十数名中、進路先に起業を選択したのは私だけだったので感覚としても頷ける。

何も特別ずば抜けた能力を持った学生だったわけではない。

学生時代に所属していた学会で賞を取ったことは一度もなく、上京前にバイトして貯めた金はあっという間に底をつき、学費と生活費を賄うために奨学金を借り、成績優秀者ではなかったので返済免除のような措置は受けていない。

ごく一般的な学生だったと認識している。

一方で起業セミナーは活発に開かれ、学生起業コンテストなるものも各地で開催されている。

参加する学生もいるし、興味がないわけではないようだ。しかしながら多くの学生はそのまま就職という道を選ぶ。

なぜ起業する人は少ないのだろうか?

ある人は、他国と比べて助成金や投資家からの資金が足りないからだという。

またある人は、リーンスタートアップ、シリコンバレー式などの経営手法を例に挙げ、上場や買収などのエグジットをどう成功させるかを語ってくれる。

しかし、それらのアドバイスは起業した会社をいかに成功させるかに焦点が当てられており、実際に事業を興す個人の立場がおざなりにされている。

個人が起業を志さない限り新しい会社は生まれないのである。

実際に私は学生で起業という選択をしたが当時感じたのは、いかに顧客を獲得するか・資金を集めるかということではなく、ただ漠然とした将来への不安だった。

もし失敗したらこの先どうなるのだろう…

そんなときに無難な対処法が長いものに巻かれる精神、起業という不安な選択を避け、たとえ興味は無くとも周りと同じ就職という道を進む。

そうしてチャレンジする人は自然といなくなってしまう。

この状況は“安全設備が搭載されていない小型ボートで嵐の海に向かう”のと同じだと思う。

起業するということは普通なら避けてしまうような荒れ狂った海に向かっていくようなものだ。

このような状況で例えるなら、国は補助金で強力なエンジンを用意してくれ、投資家は成功確率の高い操縦方法を教えてくれる。

しかしながらその小型ボートには救命胴衣はないし、予備のゴムボートも搭載されてない。

航行中に高い波に襲われ船が転覆したときは?

嵐の中で大型船にぶつかってしまったときは?

昔と比べて随分起業がしやすくなったと言うが、ボートに搭載されている安全装置があまりにも貧弱であるために若者が起業から遠ざかっていると考える。

しかし、自分自身で安全装置を搭載し、不慮の事故への対処方法を用意することで、致命傷を避けることは可能である。

ここでは起業にチャレンジする若者に向けたサバイバル術を起業前、運営中、撤退時の 3 段階に分けて紹介したい。

まずは情報収集から

就職すると決めたらまず多数の企業に応募しなければならない大変さはあるが、同級生や OBOG と情報交換をしつつ就活を進めることができる。

一方で、起業する場合は自らの足で情報を収集しなければならない。

私の場合は在籍していた学校のベンチャー支援施設を利用した。

ほかにも公的なインキュベーション施設を利用する手もある。

またこのとき注意しておきたいことは情報のバイアスである。

起業経験者から得られる情報には一種の生存バイアスがかかっているため、成功した起業家の話のみを鵜呑みにするのは危険である。

可能であれば起業に失敗した人の話も収集しておくと後々の受け身を取りやすい。

起業家というと、Steve Jobsや堀江貴文のように、事業を優先し大学を中退する破天荒な人生をイメージしがちである。

よほどの自信がない限り、このようなスタイルはお勧めしない。

卒業しておくことはキャリアを変更する際に選択の幅を広げる。

退路を断ってやみくもにリスクを取るのではなく、何度でもチャレンジできるように備えておきたい。

加えてどのようなビジネスでも比較的通用できる武器は英語力だ。

世界中から有能な仲間を集め、投資を募る際に日本人以外の投資家と直接交渉ができ、顧客獲得する際の海外進出に貢献する。

私が起業した会社では売上げのほとんどを海外が占めるという年があった。

当時あまりビジネス英語が得意ではなかった私は、海外からのメールの返信文を留学生にチェックしてもらったり、海外で大事な取引きがある際は通訳として友人に付き添ってもらったりしていた。

自分でもできていればより多くのチャンスをスピーディーに掴めていたと思う。

立ち上げ後も慎重に

ベンチャーにはスピード感が重要だが、契約書には細心の注意を払いたい。

法人の代表になるということは、事業に関するあらゆる責任を負うことになる。

普段の生活では不動産を購入するときくらいしか実印を押すシーンはないが、他社との契約や公的期間への書類提出時など頻繁に代表印を押すことになる。

内容によっては連帯保証人に代表取締役をつけることを要求されることがあり、事業の先行きだけでなく個人で大きなリスクを背負うことになる。

可能であれば確認が済んでいる自社の雛形を使うようにし、使えないまたは大きな修正がある場合は専門家に必ず見てもらう。

また立ちいかなくなったとき、いかに再起し、次のチャレンジをする体制を整えておくことが重要になる。

資金繰りにおいてはレバレッジをむやみに上げないことを推奨する。

私は在学中にアルバイトで貯めた資金を元に、同級生らと共に全額自己資本で開始した。

すべて合わせても資本金は 100 万円を下回る額であった。

その後も銀行から借入をしていない。飲食店の居抜き物件を事務所にして固定費を抑えた。

弁理士、弁護士、会計士と顧問契約をせずに、案件ごとにスポットでレビューを依頼した。

実は初年度の売上からの役員報酬は時間換算すると日本の最低賃金を下回っていた。

またある調査によると 72% の起業家がメンタルヘルスによる問題を抱えていると報告されている(Freeman,Johnson, & Staudenmaier, 2015)。

精神的な病は通常の業務に支障をきたし、人材の代替がきかないベンチャーでは会社の存続すらも危うくなってしまう。

何でも話せる家族や友人との関係を構築することは大切だ。

私の場合は、普段から事業の話を聞いてくれる妻、たまに地元沖縄の友達や修士課程の同期と飲みに行くのがいい気晴らしになった。

また、当たり前だがベンチャーの売上というのは不安定だ。可能であればほかの収入源を確保しておきたい。

例えば、副業が許可されている企業で働く、ライターやクラウドソーシングで稼ぐ、コンサルタントを行う、個人資産での投資を始めるのもいいかもしれない。

もちろん本業をおろそかにするのは本末転倒だ。

小さなものでいいから会社とは別のキャッシュフローを持つことは、自分自身が会社に依存することを防ぐ。

遠い目で見れば会社の事業を客観的に見れる視野も手に入り、本業を思わぬ方法で改善できるかもしれない。

転職する際に注意すること

最後に伝えたいのが、会社を畳むもしくは会社を離れなくてはならないときの立ち回り方だ。

たとえば次のキャリアとして、研究職を狙う、投資関係の会社に入る、同分野のベンチャーに入社する、一般的な企業に入社するなどが挙げられる。

私は大手企業への転職を選んだ。選定理由は割愛するが、いくつか気をつけたい点があったので記述したい。

まず、残念だったのは周囲に転職を打ち明けた際、あまり根拠がないにもかかわらず、採用してくれるところはないだろうという煽りを受けたことだ。

事業を始めるときだけでなく、辞めようと考えたときに適切なアドバイスを受けられる環境があればと思う。

初めての転職活動だったため、サービスを比較するために2つの転職サイト(Dodaとリクルート)を使った。

このとき苦労した点だが、計50社以上に応募したが書類選考がほとんど通らなかった。

・書類選考で落ちた、または連絡が来なかった企業
SONY、MUJIN、ZMP、他多数

その理由としてベンチャーで経験したことを経営、経理、営業、広報など、技術以外のことまでまんべんなく書いたことが裏目に出たのではないかと考えている。

通常、企業の募集ポストにはジェネラリストではなくエキスパートが要求される。

自分が最も得意としている分野に絞って履歴書を書き直したら徐々に返事が貰えるようになった。

また面接で、

「毎日朝はきちんと来られるか」

「協調性はあるのか」

といったステレオタイプな質問が来たことがあった。

これらの質問に惑わされず、冷静に自身の能力をアピールしたい。

・1次~最終面接で落ちた企業
BOSCH、HONDA

以上の過程を無事に乗り越え、

最終的に会社に来てくれと声がかかった企業は以下の3つだ。

・最終面接を経て内定を得た企業
日本電産、メイテック、富士重工業(SUBARU
)

ここまで転職活動に費やした時間は約2ヶ月。
2016年2月の頭に転職エージェントの面談が有り、2016年3月末に上記の結果が出た。

熟考の末、樋渡部長(当時)と柴田副部長(当時)の熱意に惹かれSUBARUに入社した。

結果としてやりがいのある仕事に携われ、技術者として充実した会社員生活が送れた。
楽しい思い出ばかりなのでまた次の機会に話したいと思う。

この転職活動で幸いだったのが学校を卒業していたことだ。

最終学歴を修士課程と記入することができ、給与面などで多少の優遇があった。

子供はいないものの、既婚の身で家族同士支え合っていく立場であれば切実だ。

入社後の注意点としては、

ベンチャーと比べて意思決定の過程が複雑で遅い、

会議が大人数でかつ長いといった企業文化は避けられない。

一方、役割分担がしっかりされている分、自身の専門領域に集中できる環境である。

また、ベンチャー在籍時は常に頭の中にあった資金繰りに悩む必要は無い。

実際SUBARUに在籍している間は、上司や仲間に恵まれたこともあり飛躍的に技術力が向上した。

技術者としてもやっていけるのだと自信にも繋がった。

何度でも挑戦を続けるために

私なりに起業チャレンジのサバイバル術を紹介したつもりだ。

嵐の中を小さな船で進むのは非常に怖いものである。

しかし、航行前にしっかりと基礎知識を身につけ、地図を確認し、航行している最中は周囲の状況に細心の注意を払い、万が一に船が転覆した際は、事前に用意した救命胴衣を身に着け、ゴムボートで脱出することが想定できれば結果は変わってくる。

始める前の恐怖心は随分和らぎ、大きな損失を避けることで、たとえ失敗してもまた挑戦できる機会を得られるはずだ。

ベンチャーの語源は、

アドベンチャーからきていると言う。

大海原へ冒険したあとは、

どんな結果であれ、

いつか港に帰ってこなくてはいけない。

無事に帰ってこれたら、

時間をかけて気力を蓄え、

少しずつ資材を調達、

準備ができたらまた冒険に出かけよう。

何度でも挑戦を続けるために。